信長の茶会記の今までの記録と状況を調査!料理や茶道具も?

こんにちはbarikanです!

今回は82年ぶりに発見された信長の茶会記をお伝えします。

・信長の茶会記の今までの記録と状況を調査!料理や茶道具も?

それでは見ていきましょう。

スポンサーリンク


今回の信長の茶会記の発見は82年ぶりとのことです。

織田信長(1534~82)が開いた茶会を記録した茶会記が新たに見つかったとのことです。

いやーびっくりですね。

まだまだ、記録というものがねむっているのですね。

・信長の茶会記の今までの記録と状況を調査!料理や茶道具も?

これまで見つかっている茶会記で、

私が知っているのは、

「茶会記百選」(裏千家茶道教科15 淡交社 1980年刊)に、信長が津田宗及を招いた茶会記が出ていた。

くらいです。

天正2年(1574)2月3日  「天王寺屋会記」である。

堺衆であり本願寺門徒である津田宗及にとって、

迷惑な話でしょうがそうは言えないかったでしょう?

堺に矢銭を課し石山本願寺を攻めた信長は許せざる相手であった。

しかし天下の趨勢に抗すべくなく、

断れば、命がない時代である。

天正1年に京都での信長の茶会に列席、

翌2年信長の本拠岐阜に参賀して、

信長から茶会に招かれたのであった。


会記には道具類など細かく記されているが、

中に「紹鴎茄子」という名器がある。

これはもと武野紹鴎の所蔵であったが、

娘婿の宗及が預かり、信長に献じたものであった。

やはり当時は、名品がものを言ったようである。

これにより宗及は千石を拝領したという。

招かれたとはいえ茶をたてるのは宗及である。

信長は宗及の点前を見ていて自らは服さず、

宗及に賜って宗及が自服したという。

スポンサーリンク



茶会記は、

道具類一式を記したものである。

亭主が毛筆でしたためてある。

茶室のしっつらえ

床の間の造り

床の間の掛物

花差し

香合

炉縁

屏風

水差し

茶入

茶碗

茶杓

菓子器

菓子

御茶

お菓子はあるが料理は別である。


お茶席にかかわるものを記したものである。

当然、名品が出ていることもあろう。

花籠などは優劣が問われることもあるだろう?

その主人の客に対する心を表すものであるので

信長の茶会記は

その書面だけでも

絵になってしまう!

本当に素晴らしい。

我が国の歴史が

また一つ新しくなった!
信長と言わず、

茶人の茶会記は一つの絵のようで

鑑賞を楽しんでいたのですが、

今回の発見は

また、新しい喜びにせっする機会が出来ました。

本当にうれしいことですね!

スポンサーリンク


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする