【訃報】西城秀樹の闘病と死因を調査!過去のヒット曲を動画で惜しむ!

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こんにちはbarikanです!

今回は西城秀樹さんの訃報をお伝えします。

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16日、大ヒット曲「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」などで

知られる歌手の西城秀樹さんが死去したことが17日、分かった。

西城秀樹さんは数々のヒット曲や、タレント、俳優としても大活躍していた。

ヒデキ感激!の名フレーズは聞けなくなった!

本当に残念である。

2003年6月21日公演先の韓国で脳梗塞を発症するも闘病の末復帰し

「めぐり逢い/Same old story – 男の生き様 -」を発売していた。

しかし、2011年12月20日、脳梗塞の再発との診断を受け、2週間程度入院する。

右半身麻痺と微細な言語障害の後遺症が残ったが、その後は快方へ向けてリハビリに励み、

徐々に歩行の状態などが改善していた。

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・西城秀樹さんのプロフィール

・西城秀樹さんの死因は?

・西城秀樹さんのヒット曲!

・西城秀樹さんのプロフィール

氏名:西城 秀樹(さいじょう ひでき)

出生名:木本 龍雄

生誕:1955年4月13日

出身地:広島県広島市東区

死没:2018年5月16日(63歳没)

学歴:明治大学付属中野高等学校定時制卒業

ジャンル:J-POP

職業:歌手、俳優

<ウィキペディア>

ジャズギターが趣味だった父親の影響で幼少期から洋楽に馴染み、

ジャズスクールに通ってドラムを勉強した。

同世代には洋楽を聴く者は誰もおらず、音楽の話は兄たちとした。

5年生の時にその兄とエレキバンドを結成、小学生ドラマーとして活動した。

ベンチャーズ、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、

シカゴ、ジャニス・ジョプリンなどの洋楽に影響を受けた。

中学以降もバンド活動を続け、米軍岩国基地のライブハウスなどにも出演している。

岩国基地が近かったため、最新の洋楽の情報は東京より早かったと述べている。

山陽高等学校時代、ジャズ喫茶でバンド出演時に、

たまたま歌っていたところをスカウトされる。

本来、歌手には興味がなかったが、当時、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」がヒットして、

歌謡曲が変わり始めた時期と感じ、スカウトを承諾した。

1972年3月25日、ビクター音楽産業よりシングル「恋する季節」で歌手デビュー。

片仮名の「ヒデキ」が愛称となる。

1973年6月25日、「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入りとなり、

一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、

郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれた。

1974年、「傷だらけのローラ」が、『第16回日本レコード大賞』で歌唱賞を受賞。

これによりポップス歌手としては史上初となる2年連続受賞を樹立する。

『第25回NHK紅白歌合戦』にも初出場し、その後も着実にヒットを飛ばす。

ホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演、

松竹映画『愛と誠』で映画初主演と、俳優としても活動する。

私生活では、大阪在住で元・会社員だった女性と2001年6月30日に結婚。

2002年6月3日に長女が、2003年9月1日に長男が誕生する。

・西城秀樹さんの死因は?

秀樹さんは2度の脳梗塞に侵されたが、

持ち前の頑張りで、リハビリをこなし、現場へ復帰していた。

多少の麻痺は残ったが、それでも歌手活動を続けていた。

しかし、体調は急変したようで、2018年5月16日午後11時53分、

急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなった。

本当に早い旅立ちだあった!

・西城秀樹さんのヒット曲!

ここで西城秀樹さんを偲んで、

数々のヒット曲を聞いてみたい!

西城秀樹 デビュー当時映像

アイドル時代 西城秀樹

西城秀樹 HIDEKI SAIJO 1973~1979

西城秀樹 メドレー

西城秀樹シングル BEST 50曲

西城秀樹 ヒデキ還暦ライブの様子 (2015年4月) 1

西城秀樹さんのご冥福を心より

お祈り申し上げます。

最後までお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。

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