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こんにちはbarikanです!
訃報が入ってきました。
あのアクションマンガの傑作 『ルパン三世』の
原作者 モンキー・パンチさんが亡くなりました。
死因は誤嚥(ごえん)性肺炎だったそうです。
御冥福をお祈り申し上げます。
目次
- アクションマンガの金字塔 『ルパン三世』
- モンキー・パンチさんのプロフィール
- 大人のアニメの傑作
アクションマンガの金字塔 『ルパン三世』
もう知らない人はいないはずです。
マンガ雑誌はもとより、劇場映画、テレビアニメで
何度となく放送され公開されてきました。
そして数々のヒット作を生み出してきました。
「ルパン三世」は67年、漫画アクション(双葉社)創刊号で連載を開始した。
きっかけは、編集者に何を書きたいのか?と問われた時に
とっさに答えた、アルセーヌ・ルパンを書きたいと言ったことだそうです。
主人公はアルセーヌ・ルパンの孫であり、大泥棒のルパン三世。
従来なら“悪役”だが、アクションありコメディーありの、
奥行きある世界観が読者の心をつかんだ。
71年にアニメ化されると、幅広い年齢層の人気を獲得した。
連載開始から半世紀が過ぎた今も、新作アニメや映画が製作される
国民的人気作となった。
アクションマンガの金字塔を打ち立てた!
モンキー・パンチさんのプロフィール
ペンネーム:モンキー・パンチ
本名:加藤 一彦(かとう かずひこ)
生誕:1937年5月26日
出身:北海道厚岸郡浜中町
死没:2019年4月11日(81歳没)
職業:漫画家、デジタルクリエイター、教授
称号:修士(東京工科大学大学院)
活動期間:1965年 - 2019年
ジャンル:青年漫画
代表作:『ルパン三世』
『一宿一飯』 など
受賞:1980年代以降:INKPOT賞
ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞
AMD Award功労賞
<ウィキペディア>
出身地の北海道を高校卒業後、漫画家を目指して上京
手塚治虫さんの漫画を見たのがきっかけだった。
しかしなかなか売れず、貸本専門の出版社で漫画家のアルバイトをしていた。
30歳のころ、アメコミ風の作風が「漫画ストーリー」(双葉社)の
清水文人編集長の目に留まり、1965年に、「ムタ永二」のペンネームにて
『プレイボーイ入門』(「漫画ストーリー」)で本格的なデビューを果たす。
1966年、清水編集長の命令でペンネームを「モンキー・パンチ」に改名する。
清水が新人に適当に付けた名前なので本人は気に入っておらず、
1年ほどで変えるつもりだったが、この名義で翌年に発表した作品が
大ヒットしてしまったので変えられなくなった。
『漫画アクション』8月10日創刊号より「ルブラン原作」表記で
『ルパン三世』の連載(2年間)を始める。
これが現在も継続してアニメ化されるほどの大ヒットとなり、
出世作にして代表作となった。
大人のアニメの傑作
日本アニメは子供向けとの評価を受けていた90年代以前
海外で評価を受ける大人のアニメとしての作品はなかった。
そこへ登場したのが、『ルパン三世』で会った。
これが発表されると、海外で高く評価された作品だった。
大人の雰囲気をまとった「ルパン」は、フランスやイタリアを
中心に多くのファンを得て“クールジャパン”の先駆けとなった
作家の一人だった。
最後までお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。
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